rnishino

IT翻訳者Blog

翻訳、英語、ローカリゼーション、インターナショナリゼーションなどについて書いています。

29 7月

ローカライゼーションって何?

この間、在学している社会人向け大学院の勉強会で「ローカライゼーションって何?」というテーマで発表してきました。
IT 業界で働く人に、ローカライゼーションの仕事を紹介するような内容です。

そのときの資料(PDF)がこちらにあります。
細かい調査に基づくものではなく、私の経験に基づく部分が多いです。
22 7月

不条理の追体験:エンドレスエイト

こんな記事があった。

    大不評「涼宮ハルヒの憂鬱」 山本寛監督が「ユーチューブ」で謝罪
    http://news.livedoor.com/article/detail/4260576/

・・・6月から「エンドレスエイト」が始まった。しかしこの「エンドレスエイト」、現在まで5話放送されているが、異なるカットはあるのだが内容もあまり変わらないため、ネットで大バッシングされた。

先日の日記にも書いたように、主人公のハルヒが夏休みにやり残していることがあると無意識に思っているため、8/17〜8/30 の時間が延々とループし、未来がなくなってしまっているという話である。
アニメ内では 15,000 回以上ループしていて、現実のアニメでは同じ内容の話が 5 週連続で繰り返されている。
(僕は Youtube の公式チャンネルで見ているため、1 週遅れ)

記事にもあるように、大バッシングが起こっているようだ。
しかし、僕の意見は違っていて、これはものすごいアニメだと思う。

小説や劇だと、それを読んだり観たりすることで、登場人物に感情移入して行動を追体験することがよくある。例えば「カタルシス」はその追体験から得られる精神の浄化効果だ。
登場人物に感情移入するには、登場人物の自分との立場が入れ替え可能な形式になっていないといけない。カタルシスで有名なギリシャ悲劇に出てくる人物や、日本であれば能に出てくる幽霊あたりであれば、立場を入れ替えることで感情移入することは簡単である。

今回の「エンドレスエイト」の場合、2 週間が 15,000 回以上繰り返される(約 600 年分)という時間の追体験をさせようとしている。
(もちろん、現時点で判明している 5 回なら、そのごく一部に過ぎないが)

悲劇などでは登場人物の悲しみを追体験できる。
この「エンドレスエイト」のように時間が過ぎ去り、また同じ時間が繰り返されるという不条理を追体験させるような作品(劇、小説、映画問わず)がどれほどあるのだろう?
(有名どころではカフカや安倍公房が近いかと思うが、時間が繰り返すという不条理ではない)
実験的アニメでやるならまだ分かるが、商業ベースかつ高い人気を誇るアニメで、これをやるなんてすごいとしか言いようがない。

エンドレスエイトは、現実では 5 話繰り返されていて、このブログを書いている時点(7/21)では、あと何話続くか分からない。もしかしてこのままループするだけでアニメが全話終了してしまうのかもしれない。
要するに、視聴者は登場人物たちと同じく、将来が存在しない不安な状態に置かれている。ニュース記事にあるような「バッシング」はその不安の表明なのだろう。
そういう意味では、不条理や不安を追体験させるという「エンドレスエイト」の狙いは、完全に成功しているのである。

(記事には監督が謝ったとあるが、なぜ謝る必要があるのだろう?)
14 7月

594年の孤独

「涼宮ハルヒの憂鬱」の最新作を見た。
エンドレスエイトと呼ばれる連話の 3 回目です。

これ、夏休みに何かをやり残したと無意識に思っているハルヒが 8/17 〜 8/31 までの時間をループさせているという話です。
そのループ回数、15,499 回!
2 週間分(8/17 〜 8/31)で 1 回なので、なんと 594 年になる。

記憶がリセットされるため、ハルヒ本人はもちろん、他の人は誰もそのループに気づいていない。長門有希を除き・・・。
この長門は 594 年も一人でループを観察してきたということらしい。

そういう話の中の設定はアニメなので、まあいいとしよう。
しかし驚くのは、このループに合わせ、テレビも内容自体はまったく同じものを 3 週に渡って放送してるんです。
細部は微妙に違うものの、基本的に同じ話を 3 回もやるとは、ものすごい決断だと思う。
先週見たとき、さすがに 2 回で終わると思っていたが、完全にやられた。

もともとこのテレビアニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」の構成は、第 1 話からすごかった。
「涼宮ハルヒの憂鬱」なのに、第 1 話のタイトルは「朝比奈ミクルの冒険」。
誰が主人公なのか分からない。
そして、いきなりセリフ棒読みのキャラが次々と登場する。
これは「劇中劇」だと分かるのだけど、その劇中劇の監督であるハルヒは最後まで姿を現さない。声だけ。

実はハルヒは劇中劇の「監督」だけではなく、その劇自体の「超監督」であるという、多重の階層で成り立っている。
1970 〜 80 年代の筒井康隆の小説みたいに面白いです。
RSS フィード
記事検索
過去の記事
筆者について
西野 竜太郎
(Ryutaro Nishino)

翻訳者/コンサルタント。合同会社グローバリゼーションデザイン研究所・代表社員。日本翻訳連盟・理事。
プロフィールや連絡先などについては会社のウェブサイトをご覧ください。
Twitterアカウント
著書
アプリケーションをつくる英語

紙版
『アプリケーションをつくる英語』

電子版
『アプリケーションをつくる英語』
【第4回ブクログ大賞受賞】