昨日、お酒を買いに近所の大型スーパーに行きました。箱に入ったちょっと高めのウィスキーを持ってレジに向かい、機械でバーコードを読み取ると「年齢確認を…」などという音声が出てきました。まあ、アルコールを買うときに出る音声です。その直後、レジの中年女性店員が箱を持って言いました。

 「ご自宅ですか?」

一瞬返答に困りました。これまでこのような質問をされたことはありません。

今は年末であり、しかも金曜なので忘年会シーズンです。だからこのウィスキーを自宅に帰る前にどこかで飲み、飲酒運転で捕まらないよう注意を促しているのだ、直前に「年齢確認を…」という音声も出ていたし、と考えました。結果、この質問は「飲酒運転などせず、ご自宅で飲まれますか?」という意味であると判断し、「ええ、自宅です」と答えました。何とスーパーはそんなことまで聞くのか、といぶかしく思いました。

すると、店員はウィスキーの箱をビニールの買い物袋に入れ始めます。

ここで、「待てよ、さっきの質問の意味は違うのではないか…」と思い、「先ほどの『ご自宅』というのは『贈り物ではない』ということですか?」と聞いてみると、果たしてその通りでした。年末になるとお歳暮で高めのウィスキーを贈る人がいるので、その場合に包装するという話でした。つまり、「贈り物ではなく、ご自宅で飲まれますか?」という質問だったのです。



なーんだ、そうだったのか、わっはっは、という感じでレジを出てきたのですが、人がコミュニケーションを取る際、この手の齟齬は発生します。店員と私の間で、文の意味を解釈するのに使った脳内の「日本語辞書」ではなく、脳内の「世界観」(世界の見方)にズレがあったということでしょう。

今回の例で言うと、私の世界観には「年末には飲酒運転が増える」というものがあります。逆に店員には、「年末には贈答品が増える」というものがあるはずです。「ご自宅ですか?」という店員の質問の意味を適切に理解するためには、「年末には贈答品が増える」が私の世界観に必要だったのですが、それがなかったため、コミュニケーション上の齟齬が生じました。

こういった齟齬を解決するには、相手が前提にしている世界観を知る必要があります。俗な言い方をすると「相手の立場に立つ」ということでしょうか。今回のケースであれば、店員の側で世界観のズレがあるかもと配慮して、「このお酒はご自宅で飲みますか、それとも贈り物にされますか?」くらい冗長な質問をしても良かったかもしれません(ビジネスであれば、お金をもらう側が配慮すべきでしょうから)。



翻訳の力を伸ばそうとするなら、言葉の字義的な意味を覚える(あるいは辞書を用意する)こと以外にも、「読み手が前提としている世界観」を把握する努力が欠かせない、と再認識した次第です。