言葉にはいくつかのレベルがある。小さい単位には「語」(さらに小さい「形態素」もあるがここでは語としておく)、語が組み合わさって「文」、さらに文が組み合わさって「文章」になる。
つまりレベルは以下のようになっている。

 ↑
 文章
 文
 語
 ↓

「語」をどのように組み合わせて1つの「文」にするかを扱うのが「文法」(統語)である。
語レベルでは、辞書という便利なツールがある。英語ライティングなら「和英辞書」だ。辞書に新語が載っていなかったり、微妙なニュアンスを考えて選ぶ必要(例:deleteかremoveか)があったりするが、辞書はかなり信頼性が高い。
語レベルでは辞書というツールがあるが、それを組み合わせることは人間の仕事である。そのため(私も含め)英語学習者は、英文を書くためにしっかりと英文法や構文を勉強してきた。

去年、Google翻訳の性能が上がったというニュースがあった。
ただしその評価自体は1文単位で行われている。つまり正確に言うと「1文の翻訳性能が上がったのが確認された」ということである。

さて、このGoogle翻訳を始めとする機械翻訳で、高い信頼性で「文」が出力できるようになると仮定しよう。
従来の「語」に対して「辞書」という信頼できるツールがあるのと同様、「文」に対して「機械翻訳」という信頼できるツールが出てきたという状況である。
それまで「文を作る」ことは人間の仕事だった。しかし仮にそれをツールで行えるのであれば、人間は何を仕事にすれば良いのだろうか?

ひとつとして、上のレベルで「文章を作る」という仕事が考えられるのではないか。そこで求められるのは「構文」ではなく「構文章」の力である。

文章は、言語学において文章論、談話研究、ディスコース研究などとして扱われており、実際「談話文法」と呼ばれる研究もある。
書き言葉の場合、Hoeyによると「問題-解決」、「質問-回答」、「主張-応答」などのパターンがあるらしい。また文書のジャンルで言うと、メールには「頭語-本文-結語」、論文には「序論-方法-結果-結論」のようなパターンが見られる。
ただし残念ながら、文章のルールは文のルール(=文法)ようにきっちりとした決まりが成立しているわけではない。

もし信頼性の高い文を出すツール(=機械翻訳)が手に入るとするなら、これからの時代はその文をうまく組みわせて文章を作る能力がより重視されるのかもしれない。