日本のゲームをアメリカ向けにローカリゼーションする際、ゲーム内の看板に「KKK」という文字が入っていたため、それを変更するかしないかで騒動になっている。
「KKK」はアメリカで「クー・クラックス・クラン」を想起させるため、不愉快に感じる人がいる。ビジネス上のリスクを感じ取った会社はそれを変更したものの、ローカリゼーション担当者は元のまま(日本語版のまま)に残すべきだと主張してクレジットから名前を外してもらったようだ。

記事:
『AKIBA’S BEAT』の北米版、「KKK」と書かれた看板が修正へ。ローカライズ担当者は不服を表明
Why This Japanese Game Is Sparking So Much Controversy (And What It Has To Do With The KKK)

実はゲーム・ローカリゼーションではこの種の問題がたまに発生する。過去には大きな批判も起こっている。
有名なところでは、2003年にマイクロソフトXboxの「Kakuto Chojin」でイスラム教のコーランが不適切に使われているとサウジアラビア政府が抗議した。そのためリコールに追い込まれた(記事)。
ほかにも、2006年にソニーPlayStation 3の「Resistance: Fall of Man」ではイギリスの教会を舞台に銃撃戦をする場面があった。イングランド国教会はこれに怒ってソニーに抗議している(Wikipedia記事)。


 <「Resistance: Fall of Man」の銃撃戦。引用元

製品やサービスを提供先地域に合わせることがローカリゼーション(localization:L10N)である。中でも特に宗教や歴史といった文化面について合わせることは「カルチュラリゼーション」(culturalization)と呼ばれる。ゲーム・ローカリゼーションではよく目にする言葉だ。

冒頭の例では、結局「KKK」を「ACQ」に変更したらしい。ビジネス的に見ると妥当な選択だと思われる。KKKはパロディとして入っていたようだが、そのパロディから得られる楽しさというメリットと、カルチュラリゼーション失敗によるリスクとを比較すると、ビジネス的にはやはり後者を避けたいだろう。

地域に合わせる形にローカリゼーション(翻訳)することを翻訳学で「受容化」(domestication)と呼ぶが、ただしこれが常に妥当だとは限らない。とりわけゲームの場合、ソース文化が感じられるよう、翻訳は直訳っぽくして欲しいという要望もある(記事)。これは同じく翻訳学で「異質化」(foreignization)と呼ばれる。2つの方向が存在するのだ。

冒頭のローカリゼーション担当者は、日本版オリジナルを尊重し、その文化を伝えたいという気持ちがあったのかもしれない。翻訳ビジネスには悩みが多い。