翻訳会社がISO 17100に基づく翻訳サービスを提供する際、ISOが定める資格と力量を満たした翻訳者を使う必要がある。
資格と力量を満たしていることを、第三者として日本規格協会(JSA)が証明する「翻訳者登録制度」が始まった。
私も、昨日の説明会に参加してきた。

説明会の質疑応答時に「機械翻訳の出力を編集する『ポストエディット』は翻訳実績に入るのか?」という内容の質問が出た。
JSA側は人間の手が入れば翻訳実績とするという回答をした。しかしこれに対し、JSAはポストエディットに対する認識が甘いのではないかという反応が翻訳業界関係者から出ている。

何を「翻訳」とするかは、実のところ非常に線引きが難しい問題だ。

いくつか見方はあるだろうが、ここでは「プロダクト」(翻訳成果物)と「プロセス」という点から考えてみたい。

◆プロダクト(翻訳成果物)
最終的に完成したプロダクトがきちんと(※)していれば、「翻訳」をしたのだとみなす立場がある。
従来の人手翻訳は当然含まれる。プロダクトがきちんとさえしていれば、ポストエディットだろうが、翻訳メモリーを使おうが、もちろん「翻訳」に入る。
さらに、例えば機械翻訳の出力や翻訳メモリーからの自動入力を対訳で見比べ、「問題ない」と判断を下すような行為(編集作業はしないとする)も「翻訳」に入りうる。

(補足:ポストエディットは訳文のみを見て修正することもあるが、ここでは対訳で確認する行為を想定)

◆プロセス
人間が「翻訳」という作業プロセスを経て初めて、翻訳とみなす考え方もある。
この場合、「翻訳」という作業プロセスに不可欠な要素(あるいは規定する要素)が何であるのかを明確にする必要がある。

例えば「翻訳全体を自分の頭でひねり出すこと」がプロセスに不可欠な要素だとする。
ポストエディットは機械翻訳の出力を部分的に変更する行為なので、「翻訳全体」を自分の頭でひねり出しているわけではない。だから「翻訳」ではないという結論に至る。
翻訳メモリーを使った翻訳作業も「翻訳」になるかは疑わしい。特に他人が格納した対訳データを使った場合、「翻訳全体」を自分の頭からひねり出しているわけでないため、「翻訳」にはならない。
よくよく考えて見ると、辞書を使ってもまずいかもしれない。例えば英和翻訳時に意味の分からない単語があり、辞書を引いたとする。そこで辞書の訳語を選んで採用した場合、自分の頭でひねり出したわけではないから「翻訳」には該当しなくなる。

では、全体ではなく「翻訳の一部を自分の頭でひねり出すこと」としたらどうか?
この場合、辞書を使うケースは「翻訳」だし、ポストエディットも部分的に人間がひねり出しているわけだから「翻訳」だ。

もちろん、0か1かという話ではなく、灰色が薄いか濃いかという話だろう。その場合、どこまでを黒(または白)とするかという線引きの合意が必要になる。



思うに、質疑応答でJSAが不用意や不勉強であったというより、これまで翻訳業界が怠惰だったということではないだろうか。
「翻訳」とは何であり、何をすれば実績として認められるべきかは、本来は翻訳業界が決めることのはずだ。
これを機に、もっと翻訳業界内で議論を深めなければならないだろう。


※「きちんとした」を定義するのもまた難しいが、ここでは仮に「原文読者が受けるインパクトを訳文読者も同じように受ける」程度にしておく。