翻訳を仕事にするには、少なくとも大学卒業レベルの語学力を基礎として持っている必要がある。
そのため本当に翻訳の勉強をしたければ大学卒業後ということになり、もし学校システムに乗るなら大学院でということになる。
ところが日本には翻訳を学べる大学院が少ない。さらに「産業翻訳」を大きく扱っている学校はほとんどないのが現状だ。
翻訳ビジネス需要の大部分が産業翻訳であるから社会的な必要性はあるはずなのに、それに応えようとする大学が極めて少ないのは残念な限りである。

その結果、大学教育と翻訳産業との連携もない。
例えば藤田氏(情報通信研究機構)と山田氏(関西大学)の論文にも以下のようにある。

そのような人材・スキルをどのように育成するかに関するb)翻訳産業とc)翻訳者の養成の2群間の連携は希薄である
http://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2017/pdf_dir/D6-1.pdf

上記は機械翻訳が関わる状況ではあるが、機械翻訳が関係しなくても、大学教育と翻訳産業の連携は弱い。

大学教育と翻訳産業がうまく連携するためには、上記論文中の図にもあるように、大学が優れた「人材」を供給し、翻訳産業がそれを「雇用」するという関係が必要だ。
連携がうまくいかない最大の理由は、翻訳産業が求めるような「人材」を供給できていない点にあると思う。
冒頭で述べたように大学や大学院に「産業翻訳」の授業はほとんどない。
さらに学会は、実は翻訳産業に関心を持っていない。これは学会発表や論文集に掲載されているテーマを見れば分かる。大学が人材を送り出すのなら、翻訳産業でどのようなニーズがあるのか研究が必要のはずだが、そういった研究がなされていないのだ。
だから大学では翻訳産業で求められる人材を育てられていない。大学と翻訳産業はいわゆるウィン・ウィンの関係になっておらず、もし学生を雇用しても企業内で教育し直さなければならないのだ。
またすでに働いている人の再教育システム(例:社会人大学院)も皆無であるため、雇用と人材供給の間で良いサイクルが存在しない。



以前「ISO 17100の翻訳者資格を取るために大学院に行くべきか」という記事で、翻訳者になりたいなら働きながら翻訳学校に行くべきだと書いた。
その認識は変わっていないが、企業である翻訳学校で弱いと思われるのは、抽象化や理論化をして社会に還元するという機能だ。翻訳産業との協力しつつ大学や学会が力を発揮できるとしたら、そういった部分かもしれない。

産業翻訳には、ほかの翻訳にはあまり見られない特徴がある。例えば、複数人で同時に分担翻訳したり、過去の訳文に合わせて翻訳したりする。そのために翻訳メモリー(TM)を使ったり、用語集やスタイルガイドで言葉や表現の統一を図ったりする必要がある。また教師や評論家の主観ではなく、客観的な品質評価手法で翻訳成果物を評価する。
こういった独特な特徴も持つ産業翻訳について解明し、職人技と呼ばれるような部分などで抽象化や理論化を行うのである。

私自身、日本翻訳連盟(JTF)の理事となり、翻訳産業全体の将来について以前よりも考えるようになった。
その一環で、産業翻訳に関して抽象化や理論化を進めたり、さらにそれに基づいて教育手法を考案したりといった面も推進すべきではないかと感じている。
もしかしたら産業翻訳のみを専門に扱う新しい研究会のようなものを立ち上げる必要があるのかもしれない。
(通訳翻訳関係の某学会は、大学教員が中心、翻訳と通訳が一緒、文芸翻訳や西洋理論の研究が多い、といった理由で、産業翻訳を扱うのは難しいという印象がある。)