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IT翻訳者Blog

翻訳、英語、ローカリゼーション、インターナショナリゼーションなどについて書いています。

翻訳/L10N

18 5月

ヨーロッパ翻訳業界調査2020年版を読む

毎年出されている「ヨーロッパ翻訳業界調査」の2020年版が公開されている。

EUROPEAN LANGUAGE INDUSTRY SURVEY 2020: BEFORE & AFTER COVID-19
http://fit-europe-rc.org/wp-content/uploads/2020/04/Final-webinar-presentation-1.pdf(PDFファイル)

例年とは違い、今回公開されているのは完全なレポートではなく、ウェビナーのスライドである。そのせいか、例年より情報量が少なく読みにくく感じる(なおウェビナー録画はこちらから閲覧できるらしい)。また新型コロナの影響に関する質問項目も多い。

ここでは私が個人的に興味を持った点を取り上げてみたい。

▼個人翻訳者のストレス要因(p. 14)


支払いや単価(Pay/rates)は大きなストレス要因になっているが、技術変化(Technological change)はさほどストレスになっていないようだ。
MTを使う翻訳者も増えているはずだが、MT使用にストレスを感じている人はそこまで多くないのかもしれない(p. 16には35%がMTはストレスだと回答)。


▼個人翻訳者のTMやMTの使用状況(p. 15)


TM、自動QAツール、MTの使用状況のグラフである。
図に説明がないので見方がよくわからないが、パッと見で足すと100%くらいになるので、使っている人のみが回答しているのかもしれない。
意外に自動QAツールが普及しているという印象があった。


▼トレンド(p. 16)


個人も翻訳会社も、やはりMT(MTPE)が一番のトレンドのようだ。
左の図を見ると、翻訳会社よりむしろ個人がMTPEに関心を持っているのかもしれない。


▼翻訳修士号(EMT)の知名度(p. 18)


これは毎年調査されている項目である。
しかしここ5年間ずっと「知らない」(No)が約5割で、「知っていて採用時に考慮する」(Yes, take it into account)は1割程度である。要するに知名度も上がっていないし、採用に大きく有利になるわけではない。
これは、大学が業界のニーズに応えられていないということではないだろうか?
業界が求めるような教育を提供できていないため、知名度は上がらないし、知っていても採用時に考慮されない。

日本でもこのEMTコンピテンス枠組み(PDFリンク)を参照する大学があるようだ。しかしこの調査結果を見ると、大学内輪の自己満足に陥っていないか検証した方がよいのではないかとも感じる。


▼新型コロナに関連したフリーランスへの経済的支援(p. 22)


半数くらいの国でフリーランスへの支援があるようだ。
日本でも「持続化給付金」があり、給付のハードルはそれほど高くないので、対象者かどうか確認しておきたいところである。



前年までの調査に関するブログ記事は以下の通りである。
・ヨーロッパ翻訳業界調査2019年版を読む
 http://blog.nishinos.com/archives/5472077.html
・ヨーロッパ翻訳業界調査2018年版を読む
 http://blog.nishinos.com/archives/5360143.html
・ヨーロッパ翻訳業界調査2017年版を読む
 http://blog.nishinos.com/archives/5211703.html
・ヨーロッパ翻訳業界調査2016年版を読む
 http://blog.nishinos.com/archives/5185598.html
6 5月

昔からある機械翻訳のポストエディット

ポストエディット(post-edit)は、機械翻訳出力を人間が編集して読めるものにすることであるが、これは命名が悪かったのではないかと思っている。
というのも、この言葉からは、いかにもコンピューターが「翻訳」し、人間はせいぜい補助役という印象を受ける。
しかし現在のMTが実際に行っているのはテキスト変換である。そのため真に「翻訳」をしようとするならば、テキスト外部も含めた人間の文脈判断は不可欠である。つまり単に補助というより、人間の目が入って初めて「翻訳」が成立する。
(この辺りの話は、関西大学の山田さんと共著で言語処理学会で発表[PDF]した。)

人間は「翻訳」に不可欠なのに、それに「ポストエディット」と名前を付けてしまったので、今もさまざまな混乱が発生しているのではという考えである。



ポストエディットは最近登場したと思っている人がいるかもしれないが、歴史はかなり長い。

1966年に「ALPACレポート」(PDF)というものが発表された。機械翻訳の限界を指摘し、この後にアメリカの機械翻訳研究が停滞する原因になったとされる報告書である(こういう歴史的資料が公開されているのはありがたい)。
この資料の19ページに、ジョージタウン大学で1954年から始まった機械翻訳研究は、最終的にはポストエディットに頼るしかなかった("they had to resort to postediting")とある。
だから確認できる資料だけ見ても、ポストエディットは半世紀以上の歴史がある。



この1966年のALPACレポートには実に興味深い内容がいくつも掲載されている。
たとえば現在、翻訳品質評価の指標として「Fluency」(訳文のみ評価)と「Accuracy」(対訳で評価)が重視されているが、似たような「Intelligibility」と「Fidelity」という概念を評価指標にしている。

さらに、人間にポストエディットをしてもらう実験もある。
たとえば下の図は、23人の翻訳速度とポストエディット速度を比較したものである(p. 93より)。
ALPAC_p93

翻訳は遅いが、ポストエディットで大幅に速度が向上した人(例:17や20〜22)がいる。
こういった点から「ポストエディットは翻訳が速い人の足かせにはなるが、遅い人の助けにはなる」("... impede the rapid translators and assist the slow translators.")という分析が載っている。

また「ポストエディットは翻訳と比べて簡単か?」という質問に対し、
 ・8人:翻訳より難しい
 ・6人:同じくらい
 ・8人:簡単
 ・1人:簡単と同じくらいの間
といったアンケート結果も載っている(p. 91)。

現在やっていてもおかしくないような実験やアンケートが、すでに半世紀以上も前に実施されていたのは面白い(あるいは進歩していない?)。
ただしこの頃のコンピューターはGUIではなく、パンチカードをコンピューターに読み込ませるような方式だったはずなので、ポストエディットのやり方自体は大きく違うはずである。



ALPACレポートで個人的に興味深かったのは、コンピューターの歴史上で有名なJ・C・R・リックライダーが登場する場面だった(p. 19)。
ある人が自社で、ポストエディットした機械翻訳サービスを提供するつもりだと言う(すでにこの頃から!)。
これに対し、当時IBMに勤めていたリックライダーは「自社ではやらない」と答えたらしい。


機械翻訳に興味があるならば、このALPACレポートはざっとでも読んでおきたい資料である。
16 4月

翻訳品質に関する言語処理学会の論文公開

2020年3月に開催された言語処理学会の発表論文が公開されています。

 言語処理学会第26回年次大会(NLP2020)
 https://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2020/index.html

私もテーマセッション「翻訳とは何か? 何ではないか?」で、関西大学の山田さんと共著で1つ発表しました。PDFファイルを以下からダウンロードできます。

 翻訳品質と JTF 翻訳品質評価ガイドライン: 生産ベース評価の品質の考え方
 https://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2020/pdf_dir/G1-1.pdf

基本的には機械翻訳の研究者向けなので、翻訳業界の方々はすでに知っている内容かもしれません。
簡単に言うと「翻訳とは、字面上のテキスト変換ではない。人間は、仕様や現実世界など、テキスト外部の要因も考慮して翻訳をしている。だから今後、そういった視点を機械翻訳研究に取り入れてはどうか?」という内容です。

一般社会では「翻訳=テキスト変換」だと考えている人は結構いますし、日常レベルではそれで十分なこともあります。ただし、最終読者に合うように翻訳したり、記述内容の正しさも判断しつつ翻訳したりするには、テキスト外部まで把握する必要があります。

現在の機械翻訳では、テキスト外部まで考慮した翻訳ができません。今後翻訳業界が生き残るには、一般社会の人にここを理解してもらう点が重要でしょう。単に機械翻訳のミスをあげつらうより、機械翻訳の発展や利点を認めた上で、「それでも人間にしかできない点と、それの何に価値があるのか」を社会に伝えた方が生産的だと考えます。
31 3月

2020年度からJTF個人年会費が半額(+現在入会キャンペーン)

日本翻訳連盟(JTF)の個人会員の年会費が2020年4月1日から半額になります。
従来は年2万円でしたが2020年度から年1万円です。

会員になるとさまざまなメリットがありますが、経済面では以下の通りです(執筆時点)。

  • 翻訳(関西)セミナー受講料: 非会員6,000円が3,000円(税抜)

  • セミナーDVD代金: 非会員6,000円が3,000円(税抜)

  • 翻訳祭の参加費: 2019年の場合、非会員10,000円が5,000円(税抜)

  • ほんやく検定受験料: 非会員に比べて20%安い

  • 翻訳白書(2017年版): 非会員20,000円が無料(!)


その他、関連団体のセミナーなどへの参加費が割引になることもあります。

さらに、2020年5月31日まで入会金が半額になる入会キャンペーンを実施しています。
こちらの入会案内ページをご覧ください:
https://www.jtf.jp/jp/admission/admission_info.html

現在フリーランスや会社員として翻訳の仕事をしている、あるいはこれからしたいという方は、この機会にぜひご入会ください。

以上です。
18 3月

翻訳の設計

翻訳は個人で行うことが多く、その場合は橋やビル、あるいは大規模ソフトウェアを構築する際に実施するような「設計」の段階が存在するわけではない。もちろん「これからこの一冊をどう訳そうか」と翻訳者は考えるだろうから、その人の頭の中で計画なり戦略なりは立てているはずだ。ただしここで「設計」とは、翻訳者一人だけというより、翻訳依頼者(クライアント)や翻訳会社などが関係し、翻訳者が何人も参加するような状況における設計を指すことにする。

ソフトウェア開発のプロセスでは、「要件定義」→「外部設計」→「内部設計」→「実装(プログラミング)」といった順に進む。「外部設計」とはユーザーからどう見えるかという設計、「内部設計」とはソフトウェア自体をどう作るかという設計になる。またV字モデルで言うならば、以下の図のように、各フェーズに対して検証を実施することになる。


(引用元:日経XTech https://xtech.nikkei.com/it/article/lecture/20061130/255501/


翻訳プロセスにこれを当てはめた場合、一番分かりやすいのは翻訳者が「実装」をする点だと思われる。ソフトウェア開発におけるプログラマーと同じ立ち位置である。
では翻訳の「外部設計」で何を決めるのだろうか。外部設計はユーザー(最終読者)から見てどうかという話である。だから、たとえば最終読者がエンジニアである場合、「技術専門用語がきちんと用いられている」、「エンジニア向けの日本語になっている」、「旧版マニュアルの表現を踏襲している」といった点だろうか。
続く「内部設計」は、翻訳成果物内部をどうするかという話である。外部設計を受けるならば、たとえば「あの用語集に従う」、「である調(常体)をスタイルとする」、「前回作成したTMを使う」といった話になるはずだ。

このような翻訳における設計(外部と内部)は、現在のところ翻訳会社内で実施されていると思われる。自分自身も翻訳会社にいるときにしていた。
ただ、翻訳設計は誰もが知るような公の知識になってはおらず、各翻訳会社の「ノウハウ」として蓄積されていると考えられる。ノウハウは利益の源泉になるため、翻訳会社に出してくれとは言いにくい。しかし公の知識になれば、人が同じ失敗を繰り返したり、車輪の再発明をしたりする事態は避けられる。だから大学などの公的機関が研究してまとめて公開することが社会全体からすると本当は望ましい。

実のところ、ISO 11669という国際標準規格では、翻訳の仕様を作る(つまり設計する)ためのパラメーターが提案されている。ISO 11669はお金を払わないと読めないが、その元になったパラメーター自体はMelby氏によってウェブ上に公開されている。
大きく「言語面」(原文と訳文の情報)、「制作面」(タスクなど)、「環境面」(ツールなど)、「社会関係面」(納期や費用など)と分類されている。非常に有用ではあるものの、やはり実務者から見ると少し足りない気がするし、構成がどこまで妥当なのかも分からない。こういったパラメーターも、外部設計や内部設計といった概念で分類してみるとすっきりし、かつ実務で適用しやすくなるのかもしれない。特に検証を内部設計にするのか、外部設計にするのかという分割は、概念上役立つ。

なおソフトウェア・ローカリゼーションにおける設計は自著『ソフトウェア・グローバリゼーション入門』(達人出版会インプレス)の第2章5節で触れているが、あくまでソフトウェア設計に属する話だったので、純粋に翻訳に注目した調査研究が欲しいところである。
最新の翻訳書
血と汗とピクセル 『血と汗とピクセル』
筆者について
西野 竜太郎
(Ryutaro Nishino)

翻訳者。合同会社グローバリゼーションデザイン研究所・代表社員。日本翻訳連盟・理事。
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著書
アプリ翻訳実践入門
『アプリ翻訳実践入門』


ソフトウェアグローバリゼーション入門
インプレス刊
『ソフトウェアグローバリゼーション入門』

達人出版会刊
『ソフトウェア・グローバリゼーション入門』


英語語源が魔術に変わる世界では
『英語語源が魔術に変わる世界では』


現場で困らない! ITエンジニアのための英語リーディング
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アプリケーションをつくる英語
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『アプリケーションをつくる英語』

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