IT翻訳者Blog

翻訳、英語、ローカリゼーション、インターナショナリゼーションなどについて書いています。

カテゴリ: 翻訳/L10N

2017年10月に、翻訳業界調査をしているNimdzi社のRenato Beninatto氏らが「The General Theory of the Translation Company」(翻訳会社の一般理論)という書籍を出した。当時(海外の)業界ではそこそこ話題になっていたが、やっと最近読み終わった。




名前の通り、同書では「翻訳会社」の機能や仕組みを解説している。1枚の図で表すとこうである(同書より引用)。



まず中央の黄色い部分が翻訳会社の中核機能(Core Functions)である。これには3つが挙げられている。

 ・ベンダー管理(Vendor Management)
  ※ここでベンダーとは発注先(フリーランス翻訳者や翻訳会社)
 ・プロジェクト管理(Project Management)
 ・営業(Sales)

また、その外側にあるのが支援活動(Support Activities)で、8つ挙げられている(図だとやや文字が読みにくい)。

 ・経営(Management)
 ・企業組織(Structure)
 ・企業文化(Culture)
 ・財務(Finance)
 ・施設(Facilities)
 ・人的資源(Human Resources)
 ・テクノロジー(Technology)
 ・言語品質保証(Language Quality Assurance)

一番外側にあるのは、市場に影響を与えるもの(Market Influencers)である。

 ・新規参入者(New Entrants)
 ・顧客(Customers)
 ・代替品(Substitutes)
 ・競合他社(Rivalry)
 ・供給業者(Suppliers)



翻訳会社の機能については、以前自分のブログ記事でもまとめたことがあった(同じ2017年の1月だった)。見出しだけまとめる。

 【クライアント側から見た機能】
  A. コーディネーション機能
  B. プロジェクト管理機能
  C. 品質保証機能
  D. 編集/校正機能

 【翻訳者側から見た機能】
  a. 営業機能
  b. 教育/サポート機能

こう見ると、Beninatto氏らの言う中核機能と支援活動に該当するものが含まれている。

 ・ベンダー管理 → A. コーディネーション機能
 ・プロジェクト管理 → B. プロジェクト管理機能
 ・テクノロジー → (一部)b. 教育/サポート機能
 ・言語品質保証 → C. 品質保証機能

一般的な企業でも必要な「企業文化」や「財務」などを除くと、翻訳会社特有の機能についてはかなり認識は一致しているように思える。



ただし「品質保証」については異論がある。

Beninatto氏らが品質保証を(中核機能ではなく)支援活動に入れているのは、品質保証が付加価値を生み出さないからというのが理由だ。どの会社でも「高品質」をうたうため、それは差別化要因にならない。例として配管工事が挙げられていた。配管工事を依頼したらきちんと直るのが当然であり、翻訳もそれと同じだという話らしい。

これは品質のうち「当たり前品質」しか見ていないのだと思う。当たり前品質とは「不充足だと不満、充足されて当たり前」(参考)という品質である。確かにそういう面もあるが、翻訳には「不充足でも仕方がない(不満には思わない)が、充足されれば満足」(参考)という「魅力品質」の面もある。たとえばゲームの翻訳が素晴らしく、世界観に引き込まれるようなケースだ。こういう翻訳は明らかに差別化要因になる。



しかし「当たり前品質」こそを品質とみなすのは、グローバルな翻訳ビジネスでは当然なのかもしれない。
同書では、翻訳業界を次のような階層構造として見ている。

(同書より引用)

つまり、一番上にクライアント(LSB)がおり、その下に多言語翻訳会社(MMLSPやMLSP)がいる。さらに下に各地域の多言語翻訳会社(RMLSP)、その下に単言語翻訳会社(SLSP)、そして翻訳実作業をするフリーランス翻訳者(CLP)がいる。

こういう階層構造を想定すれば、下から上まで一貫した品質の翻訳が求められる。ある意味、自動車のような工業製品に近い。用語集などで仕様をがっちり固め、それを守る。下流で部品を上流に納品し、それを組み立ててさらに上流に納品する。仕様を守ることで完成品の品質は安定する。だから多言語を扱う中で、ある言語だけ「魅力的品質」を備えていたら、むしろ品質管理に困る。安定した品質が求められる大量生産の工業製品においては、いち職人の名人芸は面倒を増やす。

翻訳の部品化は良い悪いという話ではなく、階層構造を持つグローバルな翻訳ビジネスを想定するのであれば、当たり前の現実なのかもしれない。
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毎年出されている「ヨーロッパ翻訳業界調査」の2020年版が公開されている。

EUROPEAN LANGUAGE INDUSTRY SURVEY 2020: BEFORE & AFTER COVID-19
http://fit-europe-rc.org/wp-content/uploads/2020/04/Final-webinar-presentation-1.pdf(PDFファイル)

例年とは違い、今回公開されているのは完全なレポートではなく、ウェビナーのスライドである。そのせいか、例年より情報量が少なく読みにくく感じる(なおウェビナー録画はこちらから閲覧できるらしい)。また新型コロナの影響に関する質問項目も多い。

★追記:こちらで完全なレポート(PDF)が公開された(6/12)

ここでは私が個人的に興味を持った点を取り上げてみたい。

▼個人翻訳者のストレス要因(p. 14)


支払いや単価(Pay/rates)は大きなストレス要因になっているが、技術変化(Technological change)はさほどストレスになっていないようだ。
MTを使う翻訳者も増えているはずだが、MT使用にストレスを感じている人はそこまで多くないのかもしれない(p. 16には35%がMTはストレスだと回答)。


▼個人翻訳者のTMやMTの使用状況(p. 15)


TM、自動QAツール、MTの使用状況のグラフである。
図に説明がないので見方がよくわからないが、パッと見で足すと100%くらいになるので、使っている人のみが回答しているのかもしれない。
意外に自動QAツールが普及しているという印象があった。


▼トレンド(p. 16)


個人も翻訳会社も、やはりMT(MTPE)が一番のトレンドのようだ。
左の図を見ると、翻訳会社よりむしろ個人がMTPEに関心を持っているのかもしれない。


▼翻訳修士号(EMT)の知名度(p. 18)


これは毎年調査されている項目である。
しかしここ5年間ずっと「知らない」(No)が約5割で、「知っていて採用時に考慮する」(Yes, take it into account)は1割程度である。要するに知名度も上がっていないし、採用に大きく有利になるわけではない。
これは、大学が業界のニーズに応えられていないということではないだろうか?
業界が求めるような教育を提供できていないため、知名度は上がらないし、知っていても採用時に考慮されない。

日本でもこのEMTコンピテンス枠組み(PDFリンク)を参照する大学があるようだ。しかしこの調査結果を見ると、大学内輪の自己満足に陥っていないか検証した方がよいのではないかとも感じる。


▼新型コロナに関連したフリーランスへの経済的支援(p. 22)


半数くらいの国でフリーランスへの支援があるようだ。
日本でも「持続化給付金」があり、給付のハードルはそれほど高くないので、対象者かどうか確認しておきたいところである。



前年までの調査に関するブログ記事は以下の通りである。
・ヨーロッパ翻訳業界調査2019年版を読む
 http://blog.nishinos.com/archives/5472077.html
・ヨーロッパ翻訳業界調査2018年版を読む
 http://blog.nishinos.com/archives/5360143.html
・ヨーロッパ翻訳業界調査2017年版を読む
 http://blog.nishinos.com/archives/5211703.html
・ヨーロッパ翻訳業界調査2016年版を読む
 http://blog.nishinos.com/archives/5185598.html
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ポストエディット(post-edit)は、機械翻訳出力を人間が編集して読めるものにすることであるが、これは命名が悪かったのではないかと思っている。
というのも、この言葉からは、いかにもコンピューターが「翻訳」し、人間はせいぜい補助役という印象を受ける。
しかし現在のMTが実際に行っているのはテキスト変換である。そのため真に「翻訳」をしようとするならば、テキスト外部も含めた人間の文脈判断は不可欠である。つまり単に補助というより、人間の目が入って初めて「翻訳」が成立する。
(この辺りの話は、関西大学の山田さんと共著で言語処理学会で発表[PDF]した。)

人間は「翻訳」に不可欠なのに、それに「ポストエディット」と名前を付けてしまったので、今もさまざまな混乱が発生しているのではという考えである。



ポストエディットは最近登場したと思っている人がいるかもしれないが、歴史はかなり長い。

1966年に「ALPACレポート」(PDF)というものが発表された。機械翻訳の限界を指摘し、この後にアメリカの機械翻訳研究が停滞する原因になったとされる報告書である(こういう歴史的資料が公開されているのはありがたい)。
この資料の19ページに、ジョージタウン大学で1954年から始まった機械翻訳研究は、最終的にはポストエディットに頼るしかなかった("they had to resort to postediting")とある。
だから確認できる資料だけ見ても、ポストエディットは半世紀以上の歴史がある。



この1966年のALPACレポートには実に興味深い内容がいくつも掲載されている。
たとえば現在、翻訳品質評価の指標として「Fluency」(訳文のみ評価)と「Accuracy」(対訳で評価)が重視されているが、似たような「Intelligibility」と「Fidelity」という概念を評価指標にしている。

さらに、人間にポストエディットをしてもらう実験もある。
たとえば下の図は、23人の翻訳速度とポストエディット速度を比較したものである(p. 93より)。
ALPAC_p93

翻訳は遅いが、ポストエディットで大幅に速度が向上した人(例:17や20〜22)がいる。
こういった点から「ポストエディットは翻訳が速い人の足かせにはなるが、遅い人の助けにはなる」("... impede the rapid translators and assist the slow translators.")という分析が載っている。

また「ポストエディットは翻訳と比べて簡単か?」という質問に対し、
 ・8人:翻訳より難しい
 ・6人:同じくらい
 ・8人:簡単
 ・1人:簡単と同じくらいの間
といったアンケート結果も載っている(p. 91)。

現在やっていてもおかしくないような実験やアンケートが、すでに半世紀以上も前に実施されていたのは面白い(あるいは進歩していない?)。
ただしこの頃のコンピューターはGUIではなく、パンチカードをコンピューターに読み込ませるような方式だったはずなので、ポストエディットのやり方自体は大きく違うはずである。



ALPACレポートで個人的に興味深かったのは、コンピューターの歴史上で有名なJ・C・R・リックライダーが登場する場面だった(p. 19)。
ある人が自社で、ポストエディットした機械翻訳サービスを提供するつもりだと言う(すでにこの頃から!)。
これに対し、当時IBMに勤めていたリックライダーは「自社ではやらない」と答えたらしい。


機械翻訳に興味があるならば、このALPACレポートはざっとでも読んでおきたい資料である。
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以上です。
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翻訳は個人で行うことが多く、その場合は橋やビル、あるいは大規模ソフトウェアを構築する際に実施するような「設計」の段階が存在するわけではない。もちろん「これからこの一冊をどう訳そうか」と翻訳者は考えるだろうから、その人の頭の中で計画なり戦略なりは立てているはずだ。ただしここで「設計」とは、翻訳者一人だけというより、翻訳依頼者(クライアント)や翻訳会社などが関係し、翻訳者が何人も参加するような状況における設計を指すことにする。

ソフトウェア開発のプロセスでは、「要件定義」→「外部設計」→「内部設計」→「実装(プログラミング)」といった順に進む。「外部設計」とはユーザーからどう見えるかという設計、「内部設計」とはソフトウェア自体をどう作るかという設計になる。またV字モデルで言うならば、以下の図のように、各フェーズに対して検証を実施することになる。


(引用元:日経XTech https://xtech.nikkei.com/it/article/lecture/20061130/255501/


翻訳プロセスにこれを当てはめた場合、一番分かりやすいのは翻訳者が「実装」をする点だと思われる。ソフトウェア開発におけるプログラマーと同じ立ち位置である。
では翻訳の「外部設計」で何を決めるのだろうか。外部設計はユーザー(最終読者)から見てどうかという話である。だから、たとえば最終読者がエンジニアである場合、「技術専門用語がきちんと用いられている」、「エンジニア向けの日本語になっている」、「旧版マニュアルの表現を踏襲している」といった点だろうか。
続く「内部設計」は、翻訳成果物内部をどうするかという話である。外部設計を受けるならば、たとえば「あの用語集に従う」、「である調(常体)をスタイルとする」、「前回作成したTMを使う」といった話になるはずだ。

このような翻訳における設計(外部と内部)は、現在のところ翻訳会社内で実施されていると思われる。自分自身も翻訳会社にいるときにしていた。
ただ、翻訳設計は誰もが知るような公の知識になってはおらず、各翻訳会社の「ノウハウ」として蓄積されていると考えられる。ノウハウは利益の源泉になるため、翻訳会社に出してくれとは言いにくい。しかし公の知識になれば、人が同じ失敗を繰り返したり、車輪の再発明をしたりする事態は避けられる。だから大学などの公的機関が研究してまとめて公開することが社会全体からすると本当は望ましい。

実のところ、ISO 11669という国際標準規格では、翻訳の仕様を作る(つまり設計する)ためのパラメーターが提案されている。ISO 11669はお金を払わないと読めないが、その元になったパラメーター自体はMelby氏によってウェブ上に公開されている。
大きく「言語面」(原文と訳文の情報)、「制作面」(タスクなど)、「環境面」(ツールなど)、「社会関係面」(納期や費用など)と分類されている。非常に有用ではあるものの、やはり実務者から見ると少し足りない気がするし、構成がどこまで妥当なのかも分からない。こういったパラメーターも、外部設計や内部設計といった概念で分類してみるとすっきりし、かつ実務で適用しやすくなるのかもしれない。特に検証を内部設計にするのか、外部設計にするのかという分割は、概念上役立つ。

なおソフトウェア・ローカリゼーションにおける設計は自著『ソフトウェア・グローバリゼーション入門』(達人出版会インプレス)の第2章5節で触れているが、あくまでソフトウェア設計に属する話だったので、純粋に翻訳に注目した調査研究が欲しいところである。
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