rnishino

IT翻訳者Blog

翻訳、英語、ローカリゼーション、インターナショナリゼーションなどについて書いています。

書評

8 1月

『誤訳ゼロトレーニング』とエラー評価の課題


光藤京子・著(秀和システム)2016/12/24

◆ ◆ ◆

訳文の誤りを「エラーカテゴリー」で分類することで、翻訳能力向上を図る方法を示した書籍である。

各エラーカテゴリーにおける具体例が豊富で、翻訳を学ぶ学生にとって役立つだろうと感じた。エラーカテゴリーを利用する翻訳評価手法は一般的に「エラー評価」と呼ばれるが、それを具体例とともに解説した日本語の一般書はないため、その点でも有用だろう。

同書のエラーカテゴリーは合計15個あり、大きく3種類に分けられている(p. 25-26)。

  1. 「正確に訳されているだろうか?」:「歪曲」や「情報の欠如・付加」など8個のカテゴリー

  2. 「分かりやすく訳されているだろうか?」:「違和感のある語彙選択」など4個のカテゴリー

  3. 「細かいところに気が配られているだろうか?」:「表記ミス」(スタイルガイド違反)など3個のカテゴリー


これは業界で用いられているエラー評価分類と似ている部分もある。例えばDQF-MQMでは「正確さ」(上記の1)、「流暢さ」(上記の2)、「スタイル」(上記3の一部)という大カテゴリーを設けている。同書にこういった既存エラーカテゴリー(DQF-MQM以外にもいくつか存在する)との比較研究があれば、実務家にとってより有益だったかもしれない。

さらに、同書内では業界の基本的な実務知識(翻訳プロジェクトの流れなど)にも簡単に触れられている。全体として翻訳者を目指す人向けの書籍と言えるだろう。
(ちなみに、スタイルガイドの例として『JTF日本語標準スタイルガイド』が挙げられていた。作成に関わっている者としてお礼を申し上げたい)

◆ ◆ ◆

ここでは同書に関連するものの、書かれていなかった点について考えてみたい。特にエラーカテゴリーを評価に使う際の課題である。

A. エラー評価に対する批判

実はエラーカテゴリーを用いたエラー評価は、以前から実務翻訳で使われている。
一般的にエラー評価では、原文と訳文を1文ごとに対照させ、訳文中にあるエラーを発見する。そしてエラーの重大度に応じて点数(「深刻」なら10点、「重度」なら5点、「軽度」なら1点など)を付け、合計がしきい値を超えたら「不合格」にするといった運用をする。

このやり方については主に2つの批判がある。
1つめは「木を見て森を見ず」という批判だ。1文ごとに見比べるため、文(=木)というミクロレベルではエラーを見つけやすい。例えば、誤訳、用語集違反、スタイルガイド違反などだ。
ところが、文章全体(=森)として見比べているわけではないため、マクロレベルのエラーは評価できていないという批判である。例えば、学術論文には独特の構成があり、それに合うよう文章が訳されていることが望ましい。

2つめは「さまざまな専門分野に対応できない」という批判である。例えば特許文書とマーケティング資料では、訳文で重視する点が異なる。特許では「正確さ」(例:誤訳のなさ)が重要だし、マーケティング資料では「流暢さ」(例:購買欲を刺激する表現)が重要かもしれない。
もし単一のエラーカテゴリーしかないのであれば、いくつもある専門分野に柔軟に対応できないという批判である。

(この「A. エラー評価に対する批判」については、JTFジャーナル #285(PDFファイル)の私の記事(p. 26-)でも紹介している。)


B. エラーで翻訳を評価してよいか

こちらはAと比べると、より根源的である。エラーの有無のみで翻訳を評価してよいかという問いである。

翻訳成果物はエラー以外に、さまざまな側面から評価できる。
例えば、訳文には最終読者がいる。最終読者の反応を考慮せず、提供側のエラーカテゴリーのみで良し悪しを決めてしまって良いのだろうか?
また、プロとして翻訳ビジネスをするなら、納期や予算の制約がある。スケジュールも料金も悪い条件で仕事を依頼をされたのに、通常と同じ基準で評価されてしまったら、翻訳者としては納得できるだろうか?

評価すべき翻訳の「品質」が何であるかと議論が従来からあり、最近翻訳業界では「Garvinの5分類」が提唱されている。要するに「品質」が意味するところは主に5つあるということだ。
エラー評価は5分類のうちの「プロダクトベース」に該当する。ほかには上記の最終読者の視点で評価する「ユーザーベース」や、予算との兼ね合いで評価する「価値ベース」などがある。
(Garvinの5分類について詳しくはJTFジャーナル #283(PDFファイル)の私の記事(p. 20-)をご覧いただきたい。)

つまり、エラー評価は、いくつもある方法のうちの1つに過ぎないのである。

業界(や教育)においてエラー評価がよく用いられるのは、その簡便さが理由だと思われる。翻訳提供側でエラーカテゴリーを用意して使えばよいだけだからだ。もし訳文について毎回最終読者にアンケート調査して評価していたら、コストがかかり過ぎてビジネスとして成立しない。

エラー評価は便利ではあるが、それは翻訳品質の1面のみを評価しているに過ぎないという意識を常に持っておく必要がある。

私の好きな話に「街灯の下で鍵を探す」がある。ある公園を夜歩いていると、男が街灯の下で鍵を探している。その男に「確かにここで鍵を落としたのか?」と聞くと、「どこで落としたのか分からないが、ここが明るいのでここを探している」と答えたという話だ。
エラー評価は簡便であるため、翻訳評価でつい使いたくなる。しかしそれが本当に評価すべきものかどうかは分からない。「評価しやすいから評価する」(=探しやすいから探す)のではなく、本当に評価すべきものは何であるかをしっかり見極めなければならない。
23 6月

『ユーザー中心翻訳』




翻訳のプロであるならば、顧客が満足するようなサービスを提供しなければならないと言われます。ここで「顧客」というのは通常、フリーランス翻訳者であれば翻訳会社、翻訳会社であればソース・クライアントを指します。つまり、翻訳会社やソース・クライアントが満足するようなサービスを提供できるのがプロの翻訳者あるいは翻訳会社というわけです。これは比較的広く受け入れられている考え方ですし、現実のビジネスを見ると確かにそうでしょう。

ここに別の視点を持ち込むのが、本書のタイトルでもある「ユーザー中心翻訳」(UCT:user-centered translation)です。直接の顧客である翻訳会社やソース・クライアントというよりも、訳文の最終読者となるユーザーを中心に翻訳しようという方向です。この背景にあるのが「ユーザビリティー」と「ユーザー体験」(UX)という概念です。ユーザビリティーは例えば「読みやすさ」や「学習しやすさ」、ユーザー体験は「楽しい」といった体験全体に関係します。

ただしこれまで翻訳学においてユーザー(読者)が無視されていたわけではありません。例えば機能主義翻訳では、ドキュメントの目的("スコポス"とも)に沿った翻訳がなされているかどうかに注目していました。UCTが機能主義と異なるのは「ペルソナ」など具体的な分析手法をいくつか提案している点です。ペルソナとは架空の人物のことで、訳文を実際に読みそうな人を具体的に想定し(35歳のネットワーク・エンジニアなど)、その人がどう読むかを考えながら翻訳します(ちなみにペルソナ法はUCTに特有というより、UX研究ではよく知られた方法です)。

このUCTは従来の翻訳ビジネスを置き換えるというより、付加価値や多様性(diversification)をもたらすものでしょう。例えばアプリのUI翻訳です。現在主流の「1ワード何円」という計算方法の場合、画面に数語しか表示されないUI翻訳は、全く儲からない商売です。しかし「UXが高まり(結果的に)売上が伸びる」という方法で進めるなら、これまでとは違うビジネスになる可能性があります。UCTはこのような多様化に資する考え方でしょう。

以上です。
22 5月

『よくわかる翻訳通訳学』

日本の現役の翻訳者で、「翻訳理論」を知っている人はあまりいないのではないでしょうか。少なくとも私が同業者同士で会ったときに翻訳理論の話が出てきたことは一度もありません。

正直なところ、私も知りません。まあ翻訳理論を知らなくても翻訳を仕事にできるということです。ただ、日々の翻訳実践というのはその場その場の個別の経験であり、そこから一般化できる何かが見つけられないだろうかという疑問は持っていました。個々の具体的な経験を抽象化し、一般的な「理論」が導き出せないか、と。

やはり私が知らないだけで、理論を考えている人はいたわけです。
例えば『よくわかる翻訳通訳学』に「Domestication(受容化)」と「Foreignization(異質化)」という言葉が載っています(p. 136)。受容化ではターゲット言語(英日なら日本語)に馴染むような翻訳をし、異質化ではターゲット言語の規範から外れるような翻訳をします。
例えば私の専門のソフトウェア・ローカリゼーションでは、ユーザーが使いやすいように「受容化」を目指すことが普通です。逆にある種の文芸翻訳などではわざと「異質化」を狙うこともあるでしょう。
何のことはない当たり前のような話ですが、こういった理論を知っておくと、個別具体的な状況で分析したり適用したりできることもあり得ます。

しかし残念なことに、日本においてこの「理論」と「経験」がうまく絡んでないのではないかと個人的に感じます。具体的な翻訳現場の経験から理論を構築し、その理論をさらに具体的な場面で使うというサイクルです。基本的に前者(理論)は大学などのアカデミアが担い、後者(経験)は業界や職業人が関わるのだと思いますが、まあ両者のつながりが深いとは思えません。翻訳者や翻訳業界の経験を学者が吸い上げて抽象化や理論化をし、それを翻訳者や業界に戻すといった例はあまりないのではないでしょうか。

翻訳理論を知らなくても翻訳業はできますが、「どんな理論があるのか少し知りたい」と思っている方は『よくわかる翻訳通訳学』の「翻訳学」の章(p. 110-155)が入門的です。




以上です。
4 2月

読書『Global UX: Design and Research in a Connected World』

Global UX: Design and Research in a Connected World



異なる文化圏のユーザーを対象とする際のUX(User eXperience、ユーザー体験)について解説した本です。グローバルなUXに関する理論的な話に加え、実際に仕事に関わっている人のインタビューが多く収録されています。

具体的な経験に基づくベスト・プラクティスの例も(遠隔会議ではビデオチャットが良いなど)ありますが、日付や住所の表記方法などを辞典的に解説したものではありません。数多くのインタビューで実際の経験を共有し、意識の持ち方自体を変えてもらうことを目指しているようです。


理論的枠組みを紹介するのが本書のメインテーマではありませんが、興味深い図があったので紹介します。
layers_of_culture

グローバルUXの活動をする際に理解しておきたい「文化の層」(Layers of culture)で、cxpartnersという会社で使っているようです。他の文化に関することで、予測が簡単なものから難しいものまでを並べています。

<より簡単>
・タスク: ホテルの予約手順など。国ごとにあまり違いはない。
・インフラ: インターネットの利用方法など。ブロードバンドが普及していない国では動画再生は難しい。
・法制度: 税金、プライバシー法、ビザなど。
・市場標準: 自動車には標準でさまざまな機能が付属する国と、オプションが中心の国など。
・言葉: 自動車でスペック情報掲載を重視する国と、あまり重視しない国。単なる翻訳では解決できない。
・文化: その他。価値観、物事に対する態度、儀式、モラル、個人主義vs集団主義、好まれる言葉遣い、など。
<より難しい>

要するに、少し検索して調べられるような情報から、現地の人に聞かないと分からないような情報まで幅広くあるということです。


もう一つ面白いと思った分類です。グローバル企業のブランドのローカリゼーションは、3つの基本パターンがあるという話です。

1: One product, with minor localization
製品は主市場向けに設計され、少しの変更を加えて(ローカリゼーションして)売る。例えば次のような製品/サービス:
・各地でタスクやプロセスに違いが少ないニッチ市場向け
・基本的に似た文化圏の人が使う
・高級ブランドのように、主市場の文化がアピールする
・製造コストを抑えたハードウェア製品
例としてTwitterが挙げられています。

2: Locally controlled products
共通のブランドはあるが、各地のフランチャイズが経営。例えば次のような製品/サービス:
・ローカル色が濃い
・文脈や文化に影響されやすい個人的嗜好に左右される
・医療や金融のように、各国で法律が異なる
例としてHSBC銀行が挙げられています。

3: Global template with local variations
統一的な設計を目指すが、ローカルのニーズにも応える(1と2の中間)。例えば次のような製品/サービス:
・グローバル・ブランドが必要だが、ローカルの環境とも関わりがある。銀行、ホテル、旅行業など
・似たようなワークフローが存在するが、ローカルでの違いに対応する必要がある
例としてYahoo!が挙げられています。
テンプレートはある程度堅固でなければならないが、変種を許容できる柔軟さも必要で、「変える十分な理由がなければ変えない」といった感じのようです。


上記のように、本書ではインタビューが豊富です。実際の経験を読むこともできるので、興味があれば一読してみてください。

以上です。
20 3月

読書:『IT時代の実務日本語スタイルブック』

IT時代の実務日本語スタイルブックIT時代の実務日本語スタイルブック
著者:山本 ゆうじ
販売元:ベレ出版
(2012-02-16)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

目次は以下のようになっています。章レベルのみなので、節以下も知りたい場合はこちらの PDF ファイルで確認してください。
00 はじめに─本書の特色
01 名文ではなく良文を目指す
02 実務悪文の3つの問題点─難しい・あいまい・長い
03 読み手と書き手──簡潔・明快に書くために
04 英語圏での表記の取り組み
05 スタイル ガイドとは
06 IT 時代の表記法──電子文書の利点を活かす
07 文の組み立て
08 記号の意味と使い方──約物ってなに?
09 ひらがなと漢字のバランスをとる
10 カタカナの扱い方
11 文書の構築法
12 Word の正しい使い方
13 メモ取りソフトの活用
14 文章と表現を鍛える字数制限ダイエット
15 実務文章に応用できる創作文章の5つのテクニック
16 用語集で専門用語を管理する
17 おわりに
18 実務日本語・12の基本表記規則
19 用語集


◆ なぜ今、日本語の書き方を学ぶ必要があるのか

表記ルールなど具体的な書き方は本書内で説明されているので、ここでは「 なぜ今、日本語の書き方を学ぶ必要があるのか」という点について、私の意見も交えながら考えてみます。

本書では次のような説明があります。
日本語を母国語としている人どうしでも、ビジネスの現場では、あいまいな日本語や、不必要に難しい日本語が日常的に使われており、誤解から大きな損失が生じています。企業で難しい日本語を使うと、社内での意思疎通が妨げられ、社外的にはビジネスでの競争力が下がります。
  <中略>
海外向け文書を日本語で書いて翻訳するときでも、元が分かりにくい日本語では、日本の立場をうまく説明できません。
(p13)

日本人どうしの意思疎通の場面ではもちろん、海外向けに日本語が翻訳される場合にも、分かりやすい日本語が必要だということです。

先日のブログ記事に「CNN の誤訳問題」を取り上げました。CNN はトヨタの内部文書(日本語)を入手し、トヨタが自動車の欠陥を知りながら隠蔽していたと報道しました。しかし実は、その根拠となった日本語文書の英語翻訳が間違っていたという話です。そもそもトヨタの文書は社外向けではありませんでしたが、偶然それが社外に出てしまい、翻訳がうまくなされなかったために大きな損失が生じた不幸な例と言えるでしょう。

現在、いわゆる「グローバル化」が進んでいます。例えば、製造業の海外進出海外からの留学生の増加外国人労働者の増加などです。日本企業が外国人留学生を積極的に採用するというニュースも耳にします。グローバル化が進展すれば、日本語が分かりにくいために損失が生じたりトラブルが発生したりするケースは増えるでしょう。つまり、日本と日本語を取り巻く環境は変化しつつあるのです。文化的あるいは言語的な背景が異なる同僚、顧客、あるいは隣人と日本語でコミュニケーションを図る機会は増加するはずです。

こういった環境の変化に対応するには、何らかの指針が必要になります。目次にある通り、本書は表記ルールはもちろん、Word といったツールの使い方まで解説しています。抽象的ではなく具体的なガイドとして、本書は役に立つでしょう。
(後日、電子書籍版も出るそうなので、検索機能が欲しい場合は少し待ってもよいかもしれません。出版社のページはこちら

以上です。
筆者について
西野 竜太郎
(Ryutaro Nishino)

翻訳者。合同会社グローバリゼーションデザイン研究所・代表社員。日本翻訳連盟・理事。
プロフィールや連絡先などについては会社のウェブサイトをご覧ください。
Twitterアカウント
著書
ソフトウェア・グローバリゼーション入門:I18NとL10Nを理解する
『ソフトウェア・グローバリゼーション入門』


アプリケーションをつくる英語
紙版
『アプリケーションをつくる英語』

電子版
『アプリケーションをつくる英語』
第4回ブクログ大賞受賞】