IT翻訳者Blog

翻訳、英語、ローカリゼーション、インターナショナリゼーションなどについて書いています。

カテゴリ: その他

あけましておめでとうございます。

いよいよ 2010 年の 3 月に現在通っている産業技術大学院大学を卒業します。
卒業まで 3 か月間ほどありますが、実際の活動は 2 月 11 日の PBL 成果発表会までです。
(ちなみに私は中鉢 PBL の「ソフトウェア開発とマネジメント」に所属)
つまり、あとほぼ 1 か月です。

この社会人学生の 2 年間はやはり充実していたと思います。
授業や PBL(Project-based learning)活動を通じて実際の IT 関連知識を得られたことはもちろん大きかったです。
しかしそれと同等に、他の社会人学生と知り合えたという点が意義深かったと感じています。
異なる分野で活躍している人たちと、IT という共通の興味を介してつながりを持てたことは、今後の人生の中で貴重な財産になります。


産業技術大学院大学は「専門職大学院」であり、高度専門技術者を育成するために設立されました。
日本では、企業が大学新卒者を年に 1 回一括で採用し、企業内研修などによって育成するという方法が一般的かと思います。
そう考えると、専門職大学院に通ってスキルを磨く人というのは少数派であり、日本企業の慣例から見ると「異端」なのでしょう。

しかし、海外を見ると、社会人が働きながら大学などの公的教育機関を修了することは珍しくありません。
例えばアメリカでは「コミュニティーカレッジ」という公立の 2 年制大学があります。
卒業後に 4 年制大学に編入することもできますし、専門技能のコースを修了して就職することもできます。
地元の住民であれば、授業料は格安で、夜間に開かれるクラスも数多くあります。
私も高校卒業後にアメリカ留学したときに、コミュニティカレッジに入学しました。
昼間はやはり若い学生が多いのですが、夜間には社会人が多く、少し驚いたことを覚えています。

また、イギリスやオーストラリアでは、1 年制で主に職業直結の課程を提供している大学院が数多くあります。
こういった課程では「Master of Science in ○○」や「Master of Art in ○○」ではなく、「Master in ○○」(○○は専門名で、例えば Information Systems)という学位を出すことが多いようです。


上記のように企業内で人材を育てる日本企業では、その企業でしか通用しない知識やスキルしか身に付かないため、社員は転職や再就職が難しくなります。
この硬直的な雇用慣習のため、成長産業に人材が移動できず、日本経済停滞の一因になっているという意見も聞きます。
専門職大学院が活用され、高度な技能を身に付けた人が適材適所で働けるようになれば、日本経済の発展も期待できるでしょう。

産業技術大学院大学はぜひがんばってもらいたいですし、在学生(もうすぐ卒業生)としても何か貢献したいと思っています。
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昔アメリカに「Life」という写真雑誌があった。
1936 〜 1972 年までは週刊で発行されていて、その後月刊になったようだ。

最近 Google Books でその週刊の分について提供を始めたらしい。
http://books.google.com/books

「Japan」や「Tokyo」などで検索してみたが、やはりこの時期は戦争に関する話題が多い。
死体や生首の写真が普通に掲載されていたのには驚いた。


あと、当時の広告も載っている。
昔の生活や文化が見えて面白い。
例えば、日系二世に関する記事(1940 年 11 月 14 日号)を読んでいたら、こんな広告(写真)があった。

kreml

(Life 1940 年 10 月 14 号の 89 ページ。http://books.google.com/books?id=LEoEAAAAMBAJ

HOW DO YOU LOOK TO THE PRETTY CASHIER?
(君はあのかわいいレジの女の子にどう映ってる?)

右上の男は、洗いざらし(WASHOUT)で髪がボサボサで、NO SALE(全然ダメ)!
その下の男は頭頂が老けて(OLD TOP)いて、NO SALE!
その左の男は油塗りすぎのテカテカ(SLICKER)で、NO SALE!
左下の男は Kreml を使っているので、★★★★で最高の男(HEAD MAN)!


1940 年といえば真珠湾の 1 年前で、すでに世界各地で戦争をやっているわけですが、普通の人の生活なんてこんなもんだったんでしょう。
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こんな記事があった。

    大不評「涼宮ハルヒの憂鬱」 山本寛監督が「ユーチューブ」で謝罪
    http://news.livedoor.com/article/detail/4260576/

・・・6月から「エンドレスエイト」が始まった。しかしこの「エンドレスエイト」、現在まで5話放送されているが、異なるカットはあるのだが内容もあまり変わらないため、ネットで大バッシングされた。

先日の日記にも書いたように、主人公のハルヒが夏休みにやり残していることがあると無意識に思っているため、8/17〜8/30 の時間が延々とループし、未来がなくなってしまっているという話である。
アニメ内では 15,000 回以上ループしていて、現実のアニメでは同じ内容の話が 5 週連続で繰り返されている。
(僕は Youtube の公式チャンネルで見ているため、1 週遅れ)

記事にもあるように、大バッシングが起こっているようだ。
しかし、僕の意見は違っていて、これはものすごいアニメだと思う。

小説や劇だと、それを読んだり観たりすることで、登場人物に感情移入して行動を追体験することがよくある。例えば「カタルシス」はその追体験から得られる精神の浄化効果だ。
登場人物に感情移入するには、登場人物の自分との立場が入れ替え可能な形式になっていないといけない。カタルシスで有名なギリシャ悲劇に出てくる人物や、日本であれば能に出てくる幽霊あたりであれば、立場を入れ替えることで感情移入することは簡単である。

今回の「エンドレスエイト」の場合、2 週間が 15,000 回以上繰り返される(約 600 年分)という時間の追体験をさせようとしている。
(もちろん、現時点で判明している 5 回なら、そのごく一部に過ぎないが)

悲劇などでは登場人物の悲しみを追体験できる。
この「エンドレスエイト」のように時間が過ぎ去り、また同じ時間が繰り返されるという不条理を追体験させるような作品(劇、小説、映画問わず)がどれほどあるのだろう?
(有名どころではカフカや安倍公房が近いかと思うが、時間が繰り返すという不条理ではない)
実験的アニメでやるならまだ分かるが、商業ベースかつ高い人気を誇るアニメで、これをやるなんてすごいとしか言いようがない。

エンドレスエイトは、現実では 5 話繰り返されていて、このブログを書いている時点(7/21)では、あと何話続くか分からない。もしかしてこのままループするだけでアニメが全話終了してしまうのかもしれない。
要するに、視聴者は登場人物たちと同じく、将来が存在しない不安な状態に置かれている。ニュース記事にあるような「バッシング」はその不安の表明なのだろう。
そういう意味では、不条理や不安を追体験させるという「エンドレスエイト」の狙いは、完全に成功しているのである。

(記事には監督が謝ったとあるが、なぜ謝る必要があるのだろう?)
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「涼宮ハルヒの憂鬱」の最新作を見た。
エンドレスエイトと呼ばれる連話の 3 回目です。

これ、夏休みに何かをやり残したと無意識に思っているハルヒが 8/17 〜 8/31 までの時間をループさせているという話です。
そのループ回数、15,499 回!
2 週間分(8/17 〜 8/31)で 1 回なので、なんと 594 年になる。

記憶がリセットされるため、ハルヒ本人はもちろん、他の人は誰もそのループに気づいていない。長門有希を除き・・・。
この長門は 594 年も一人でループを観察してきたということらしい。

そういう話の中の設定はアニメなので、まあいいとしよう。
しかし驚くのは、このループに合わせ、テレビも内容自体はまったく同じものを 3 週に渡って放送してるんです。
細部は微妙に違うものの、基本的に同じ話を 3 回もやるとは、ものすごい決断だと思う。
先週見たとき、さすがに 2 回で終わると思っていたが、完全にやられた。

もともとこのテレビアニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」の構成は、第 1 話からすごかった。
「涼宮ハルヒの憂鬱」なのに、第 1 話のタイトルは「朝比奈ミクルの冒険」。
誰が主人公なのか分からない。
そして、いきなりセリフ棒読みのキャラが次々と登場する。
これは「劇中劇」だと分かるのだけど、その劇中劇の監督であるハルヒは最後まで姿を現さない。声だけ。

実はハルヒは劇中劇の「監督」だけではなく、その劇自体の「超監督」であるという、多重の階層で成り立っている。
1970 〜 80 年代の筒井康隆の小説みたいに面白いです。
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