最近、翻訳で「アジャイル」という言葉を聞くようになった。ただし、翻訳といってもローカリゼーション分野の話である。

アジャイルとは、「アジャイルソフトウェア開発」のことだ。簡単に言うと、小さく分割した機能を短いサイクルで次々と開発していく手法である。
(1)設計 → (2)プログラミング → (3)テスト → (1’)設計 → (2’)プログラミング → (3’)テスト → (1’’)設計 → (2’’)プログラミング → (3’’)テスト……<繰り返し>

これと逆の手法は「ウォータフォール」で、名前の通り滝が流れるように順番に工程を完了する手法で、基本的に前工程には戻らない。
(1)要件定義 → (2)外部設計 → (3)内部設計 → (4)プログラミング → (5)テスト

慎重に狙いを定めて大型ミサイルを一発発射するのがウォーターフォールだとすると、機関銃でどんどん撃つのがアジャイルである。

アジャイルという言葉が翻訳で聞かれるようになったのは、翻訳対象であるソフトウェアがアジャイル手法で開発されるようになったからだと思われる。特に、Web アプリケーションの増加がその傾向に拍車をかけている。Web アプリケーションの特徴とは、修正や改善を加えたら即座に反映される点である。例えば Google が Gmail の機能を追加した場合、ユーザーは即座にそれを利用できる。PC にインストールするタイプのメール ソフトでは、バージョンアップを待たなければならない。アジャイルで開発する場合、アプリケーションをローカライズするならば、翻訳にもアジャイルの影響が及ぶことになる。

ここで大きな問題が発生する。それは、従来のローカリゼーション会社(翻訳会社)のプロセスがウォーターフォール型だからである。翻訳は、ソフトウェアやマニュアルが完成した後に開始する。開始時に翻訳対象の文字列やドキュメントが確定している(最終版である)ことを前提としているため、アジャイルのようにプログラミング段階に戻ることはできない。通常、翻訳会社では、ソフトウェア会社から翻訳対象ドキュメントを受け取った後、社外にいるフリーランスの翻訳者に依頼する。こうなるとますますウォーターフォールの度合いが増す。

ところでアジャイルソフトウェア開発の重要なポイントとして、このような点が指摘されている。
アジャイル開発では、たくさんの文書を書くことよりも、プロジェクト関係者間で必要な時に即座に直接顔を合わせて意思疎通を行うべきであることを強調する。 ほとんどのアジャイル開発チームでは、ソフトウェア開発に必要な関係者全員が、1か所の作業場所で仕事をする。

アジャイルでは「直接顔を合わせて意思疎通を行うべき」であり「ソフトウェア開発に必要な関係者全員が、1 か所の作業場所で仕事をする」のである。多数の社外フリーランス翻訳者がかかわる翻訳会社では、これを実践することはほぼ不可能であろう。

現在、顧客であるソフトウェア会社からアジャイルを要求された翻訳会社はどのように対応しているのだろうか?ウォーターフォール型を残しながら対応できるならそれでもよいだろうが、どこかにしわ寄せが行くだろうことは容易に想像できる。今後もアジャイルの傾向が強まるならば、ビジネス プロセス自体を考案する必要があるかもしれない。例えば専属翻訳者が Skype か何かで開発者と密に連絡を取り、その場で翻訳するといった方法である。この場合、社外フリーランスではなく社内翻訳者が内製することになるのだろうか。

先日、サイバーエージェントの藤田社長はこのように話したらしい。
ネットのサービスは実際にスタートしてから、ユーザーの反響、ユーザーの意見を反映させながら、ローンチしたあとに柔軟に改善を積み重ねていかなければならない。そこを内製でやっているのと外注でやっているのとでは、スピード感に大きな差が生まれる。インターネットのユーザーは非常に気が短い。非常に短い期間で改善を積み重ねていかないと、あっという間に離れていくので、内製化しなければならない。

http://jp.techcrunch.com/archives/jp20100810why-are-engineers-important-for-internet-startups/

これはまさにアジャイルの話であるし、国内外を問わず昨今の Web アプリケーションの特徴でもある。また藤田氏は、即座に対応するためには「内製化」が必要であるとも言っている。従来ソフトウェア会社も翻訳会社も、作業を外注することでコストを抑えてきた(ソフトウェア会社は翻訳会社に、その翻訳会社はフリーランスに)。しかし、内製による迅速化で付加価値が生み出せるならば、今後は社内に翻訳者を抱えることもアドバンテージになるかもしれない。