私が高校生の頃には国語の教科書に、中島敦の「山月記」という小説が載っていました。青空文庫版はこちらです。

先日20年ぶりくらいに再読しました。実に面白かった。高校生当時は「人が虎になる」という表面のファンタジー的な部分しか読んでなかったのですが、大人になった今読むと主人公の気持ちも実感を伴って分かるわけです。

あらすじはこうです。
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唐の李徴(りちょう)は、自分の才能に自信を持っており、つまらない上司や同僚がいる役人組織を辞め、詩作で名を残そうとした。しかし現実は厳しく、食べるのにも困るようになったため役人に戻るものの、かつて見下していた同僚はすでに出世していた。自尊心は大いに傷つき、発狂して行方不明になった。

ある日の夜、現在は高官でかつて李徴と仲の良かった袁傪(えんさん)が道を通ると、人食い虎が現れる。声からその虎は李徴であると分かった。李徴は草むらに姿を隠しつつも、昔話に花を咲かせる。袁傪はなぜ李徴が虎になったのか問う。李徴は、自分に本当は才能がないことが明らかになるのを恐れ、他人と切磋琢磨することをしなかった。一方で才能を信じていたので、臆病な自尊心は肥え太り、外面まで醜い虎に変えてしまったのだと言う。

朝になって二人は別れ、袁傪が丘の上から振り返ると、虎が姿を現して吠えた後、また草むらに消えていった。
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一つ印象的な部分を引用してみます。
人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/624_14544.html


現代でも、李徴のようなケースはありそうです。例えば、

 アホな上司のいる会社なんて辞めて独立してやる(フリーランスになってやる)!
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 実力があると思っていのになかった。しかも食えない。
  ↓
 組織に戻って末端の社員になるが、自尊心は大いに傷つく。


「山月記」から何かしらの教訓を得ることもできそうですが、教訓云々というより、働く人なら一度は持ちそうな感情を描写していて、今読んで興味深いと思った次第です。