工業デザインでは「皮かぶせデザイン」という言葉が使われていたらしい(『コンピュータと人間の接点』黒須/暦本・著)。工業製品の場合はハードウェアが機器の形状に大きく影響を及ぼすため、デザイナーの役割はそれに対して色などを施す(皮をかぶせる)こととなり、それを自嘲的に表現していたようだ。エンジニアが主でデザイナーが従という関係であるが、前掲の黒須によると、80年代後半からそれに対する反省が起こり「工業デザイナは、上流工程におけるコンセプトデザインから中流下流工程における外観デザインへつながる、一貫性のある活動をするようになった」ようだ。
個人的にハードウェアのデザイン場面はよく知らないのだが、現在ソフトウェア(アプリなど)を開発する際はエンジニアとデザイナーが最初から協働する話はよく聞く。デザイナーはしっかりと上流(企画や設計)に関わっているようだ。

特にソフトウェア開発において、このデザイナーを「翻訳者」に置き換えて考えてみると、翻訳は今も「皮かぶせデザイン」の段階に近い印象がある。つまりエンジニアなりライターなりが書いた原文を、最後につじつま合わせのように翻訳者が翻訳(ローカライズ)するという流れであり、上流工程にはあまり関われていない(※)。翻訳は翻訳会社にアウトソーシングすることが一般的であり、ビジネスにおける中核部分とは認識されていないようだ。
書籍などの印刷後に修正箇所があると、上からシールを貼って文字を書き換えることがある。「皮かぶせデザイン」に倣って、現状を「シール貼り翻訳」と自嘲的に呼んでも良いかもしれない。

今後いわゆるグローバル化がさらに進み、最初から海外を視野に入れた製品を開発するようになるならば、翻訳者が上流工程に関わることが望ましいし、積極的に食い込む努力をすべきではないか。80年代に工業デザイナーが変わったように、翻訳者も変わりたいものだと感じる。

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※上流工程から翻訳を考えるという点では制限言語(原文の表現に制約を加えることで、翻訳をしやすくする)のような試みがあるが、それが受け入れられるかどうか疑問はある。