光藤京子・著(秀和システム)2016/12/24

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訳文の誤りを「エラーカテゴリー」で分類することで、翻訳能力向上を図る方法を示した書籍である。

各エラーカテゴリーにおける具体例が豊富で、翻訳を学ぶ学生にとって役立つだろうと感じた。エラーカテゴリーを利用する翻訳評価手法は一般的に「エラー評価」と呼ばれるが、それを具体例とともに解説した日本語の一般書はないため、その点でも有用だろう。

同書のエラーカテゴリーは合計15個あり、大きく3種類に分けられている(p. 25-26)。

  1. 「正確に訳されているだろうか?」:「歪曲」や「情報の欠如・付加」など8個のカテゴリー

  2. 「分かりやすく訳されているだろうか?」:「違和感のある語彙選択」など4個のカテゴリー

  3. 「細かいところに気が配られているだろうか?」:「表記ミス」(スタイルガイド違反)など3個のカテゴリー


これは業界で用いられているエラー評価分類と似ている部分もある。例えばDQF-MQMでは「正確さ」(上記の1)、「流暢さ」(上記の2)、「スタイル」(上記3の一部)という大カテゴリーを設けている。同書にこういった既存エラーカテゴリー(DQF-MQM以外にもいくつか存在する)との比較研究があれば、実務家にとってより有益だったかもしれない。

さらに、同書内では業界の基本的な実務知識(翻訳プロジェクトの流れなど)にも簡単に触れられている。全体として翻訳者を目指す人向けの書籍と言えるだろう。
(ちなみに、スタイルガイドの例として『JTF日本語標準スタイルガイド』が挙げられていた。作成に関わっている者としてお礼を申し上げたい)

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ここでは同書に関連するものの、書かれていなかった点について考えてみたい。特にエラーカテゴリーを評価に使う際の課題である。

A. エラー評価に対する批判

実はエラーカテゴリーを用いたエラー評価は、以前から実務翻訳で使われている。
一般的にエラー評価では、原文と訳文を1文ごとに対照させ、訳文中にあるエラーを発見する。そしてエラーの重大度に応じて点数(「深刻」なら10点、「重度」なら5点、「軽度」なら1点など)を付け、合計がしきい値を超えたら「不合格」にするといった運用をする。

このやり方については主に2つの批判がある。
1つめは「木を見て森を見ず」という批判だ。1文ごとに見比べるため、文(=木)というミクロレベルではエラーを見つけやすい。例えば、誤訳、用語集違反、スタイルガイド違反などだ。
ところが、文章全体(=森)として見比べているわけではないため、マクロレベルのエラーは評価できていないという批判である。例えば、学術論文には独特の構成があり、それに合うよう文章が訳されていることが望ましい。

2つめは「さまざまな専門分野に対応できない」という批判である。例えば特許文書とマーケティング資料では、訳文で重視する点が異なる。特許では「正確さ」(例:誤訳のなさ)が重要だし、マーケティング資料では「流暢さ」(例:購買欲を刺激する表現)が重要かもしれない。
もし単一のエラーカテゴリーしかないのであれば、いくつもある専門分野に柔軟に対応できないという批判である。

(この「A. エラー評価に対する批判」については、JTFジャーナル #285(PDFファイル)の私の記事(p. 26-)でも紹介している。)


B. エラーで翻訳を評価してよいか

こちらはAと比べると、より根源的である。エラーの有無のみで翻訳を評価してよいかという問いである。

翻訳成果物はエラー以外に、さまざまな側面から評価できる。
例えば、訳文には最終読者がいる。最終読者の反応を考慮せず、提供側のエラーカテゴリーのみで良し悪しを決めてしまって良いのだろうか?
また、プロとして翻訳ビジネスをするなら、納期や予算の制約がある。スケジュールも料金も悪い条件で仕事を依頼をされたのに、通常と同じ基準で評価されてしまったら、翻訳者としては納得できるだろうか?

評価すべき翻訳の「品質」が何であるかと議論が従来からあり、最近翻訳業界では「Garvinの5分類」が提唱されている。要するに「品質」が意味するところは主に5つあるということだ。
エラー評価は5分類のうちの「プロダクトベース」に該当する。ほかには上記の最終読者の視点で評価する「ユーザーベース」や、予算との兼ね合いで評価する「価値ベース」などがある。
(Garvinの5分類について詳しくはJTFジャーナル #283(PDFファイル)の私の記事(p. 20-)をご覧いただきたい。)

つまり、エラー評価は、いくつもある方法のうちの1つに過ぎないのである。

業界(や教育)においてエラー評価がよく用いられるのは、その簡便さが理由だと思われる。翻訳提供側でエラーカテゴリーを用意して使えばよいだけだからだ。もし訳文について毎回最終読者にアンケート調査して評価していたら、コストがかかり過ぎてビジネスとして成立しない。

エラー評価は便利ではあるが、それは翻訳品質の1面のみを評価しているに過ぎないという意識を常に持っておく必要がある。

私の好きな話に「街灯の下で鍵を探す」がある。ある公園を夜歩いていると、男が街灯の下で鍵を探している。その男に「確かにここで鍵を落としたのか?」と聞くと、「どこで落としたのか分からないが、ここが明るいのでここを探している」と答えたという話だ。
エラー評価は簡便であるため、翻訳評価でつい使いたくなる。しかしそれが本当に評価すべきものかどうかは分からない。「評価しやすいから評価する」(=探しやすいから探す)のではなく、本当に評価すべきものは何であるかをしっかり見極めなければならない。