機械翻訳(MT)の発展で、そのうち語学(英語)学習は不要になるのではとの意見がある。しかしすぐには不要にはならないだろう。仮に語彙的や文法的に問題ない「ネイティブ・レベル」の訳文がMTで出力できるようになったとしてもだ。以下に理由を述べる。

日本語ネイティブであれば、恐らく十代後半にもなればネイティブ・レベルの日本語が話せたり書けたりする。ところが、多くの人が学校を卒業して社会人になってからも日本語を勉強する。「敬語の使い方」や「ビジネスメールの書き方」といった日本語だ。ネイティブであっても、文脈や状況によって言葉遣いを変える必要があるからだ。

仮に文法的に完璧であっても、ある言語表現がある状況下で妥当であるとは限らない。たまに企業を装い、冒頭が「こんにちは!」で始まるスパムメールを見る。恐らく英語か何かで書かれたものが日本語で機械翻訳されたのだろう。これを見て即座にスパムだと感じるのは、単語や文法が間違っているからではない。日本のビジネス慣習では「こんにちは!」などとメールを書き始めないからだ。その場の状況(あるいはTPO)に合致しない言葉遣いだから怪しいと感じるのだ。

最近のMTの発展により、確かに(表面的な)言語表現自体は完璧な訳文が出力される。しかし上記のように、それがTPOに合致しているか確認するためには、社会レベルの視点が必要になる。例えば自分と相手との人間関係を考えた上で、適切な言語表現であるかどうかを判断する力だ。残念ながら、現在のMTはそういった状況まで考慮した上で作られているわけではない(※1)。仮に考慮するようになったとしても、言葉が使われる状況は千差万別なので、限定的にしか扱えないのではないか。

MTのおかげで語彙面や文法面ではネイティブ並みであっても、この社会レベルで言葉遣いを判断する力に欠ける場合、「英語が書けるくせに失礼な奴だ」のように相手に思われる恐れがある。従来であれば「ノンネイティブのようだから、言葉遣いが失礼でも仕方ない」で済ませてくれたかもしれない。しかし下手に表面的にだけうまいと、それも通用しなくなる。

まとめると、MT発展のおかげで確かに語学学習のある側面(例:頻出構文を覚える)は軽減されたり不要になったりするだろう。しかし別の側面(例:TPOに合った表現か判断)の学習はむしろ重要度が増すはずだ。例えば海外旅行で簡単な意思疎通をするような場面では、MTで十分かもしれない。しかし人間関係が重要となるビジネスなどで外国語を使いたい人であれば、MTの登場で語学学習が不要になることはないだろう。その場その場の状況に合わせた言葉遣いを判断できる力が必要であり、今のMTの仕組みではそこまで対応できないからだ。


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※1 例えば、昨年逝去された長尾真氏は2018年のJTFのインタビュー記事で、現在のMTが文脈や状況を利用できていない点について次のように触れている。この記事は非常に面白いので、機械翻訳に興味のある方には一読をお勧めしたい。
今のディープラーニングでやる機械学習のクオリティをもうひとつ超えるためには、たとえば今対話しているこの状況に関する情報が欠けている面があるからだめなんじゃないかという気がしてまして、それをどういうふうに表現してディープラーニングをかけるときに使えるようにするかという問題ですね。
「JTF Journal #294」p.11より(PDF版リンク